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社長挨拶

 津波被害というのはほんとうにひどいもんでした。思い出も財産も生計も生活の場もいっさいがっさい海に流されてしまった。

 東日本大震災が発生して10日目に被災地に入りました。以来2011年は、南三陸町を中心に被災地支援を約60日間参加してきました。

 津波被害というのはほんとうにひどいもんでした。思い出も財産も生計も生活の場もいっさいがっさい海に流されてしまった。

 そんなわけでもちろん津波の被災地はひどかったのですが、しかし、震災で本質的にいちばん問題だったのは原発災害です。「災害」ではなく「人災」「事故」というべきですが、この事故によって日本は国土の一部を完全に失ったわけです。

 一方では韓国との間で竹島(島というより「岩場」ですねあれは)とか、中国との間で尖閣諸島とか、小さな島で戦争になるかもしれないというくらい争っておいて、国内の肥沃な大地を抱えた福島では、広大な無人の荒野を作って放置している。

 原発・エネルギー問題は、日本人が解決すべき問題なのですが、もう忘れていませんか。

 東日本大震災が起きたとき、関西でも節電したほうがいいんじゃないかという声が巻き起こったんですね。で、是否はわかりませんでしたが、やらないよりやったほうがいいというわけで、友だちを呼んで夕食を食べて節電しようということになったんです。ウチは薪が燃料のストーブでしたから暖房に電力がいらないんですね。

 節電といったって、みんなで晩ご飯をいっしょに食べて1つのテレビ(実際はパソコン)を固唾を飲んで見てるだけの話です。それでも何軒かぶんは節約になるわけです。小さな工夫で電力消費って半減以下になるんですよね。これがまずひとつの気づきでした。

 さらに薪ストーブのおかげで分かったことがありました。うちはもともと電気代が安いんです。いちばん高い月でも5000─6000円くらい。なにしろテレビがないし、エアコンもありません。風呂も灯油と薪どちらでも焚けるようになっていますからね。そうすると、電力をたくさん消費する器具というのは冷蔵庫しかないんです。

 あれ、もしかしたらうちは電力を買わなくても生きていけるかもしれない。

 その実感が、このLutraを開発した大きな動機のひとつです。本当は必要じゃないものを使っているのが電力事情だという感じがしたんですね。

 

 わたしはあまり都会にかかわらない人生を送ってきました。

 阪神地域から30分ほどのベッドタウンに生まれまして、周りには川や山がありましたし、親が海好きだったもので毎年連れて行ってくれました。大学時代に京都に1年住みましたが、これも東山のふもとでしたので歩いて3分で森の中という場所でしたから、あまり都会というかんじもしませんでした。

 ついで新聞記者になったときにフィリピンの首都マニラに3年弱住みましたが、周りが人工物ばかりの大都会に住んだのはこのときだけですね。はっきりいって退屈でした。無理矢理ドブ川をカヌーで下って記事を書いたこともありましたね。

 その後帰国して、記者稼業ですから東京にも住もうかと思ったことはあったんですが、満員電車とか渋滞とかが異常に嫌いだったのでやめました。

 今も生まれた町に住んで、アウトドアを重視した生活をしているわけですが、そうすると都会の生活のおかしいところに気づくわけです。その気づきを家電製品で実現しようと始めたのがLutraという会社です。

 たんなる省電力製品を作りたくはなかった。それなら名だたる家電メーカーがやっています。デザイン家電。これもたくさんメーカーがあります。

 家電に知恵を付け加える。これが自分の仕事だと思っています。

 

 若い頃は冒険家や探検家になりたかったんです。23歳のときに単独カヤックツーリングに出ました。まず春からアラスカを弟と2人で、そのあとそのままカヌーを担いで南米に飛び、世界一の大湿地パンタナールを1人で下りました。それぞれ1500kmでした。今まで漕いだ川や海を合計すると、1万キロくらいにはなるんじゃないかと思います。

 そういうわけで、今は家族とともに一軒家を借りて住んでいますが、家なんかほんとうはいらんと思っている。テントでいいや。

 そういう人間が家電を作ったらどうなるのでしょう。

 わたしにもどうなるか分かりません、お楽しみに。

<<岡本篤略歴>>

フリーの林業家、ライター。1975年兵庫県加古川市に生まれる。大阪外国語大学卒、スペイン語専攻。96年に折り畳みカヌーで日本各地の川をめぐり、翌97年、アラスカのユーコン川、南米中央にある世界最大の湿原パンタナールを各1500キロ漕行した。同湿原の長距離単独カヌー行は日本人初。02年から在外邦字紙のマニラ新聞の記者として事件・事故・社会問題の取材を重ね05年に帰国する。雑貨ギフト店EINSHOPのWEBショップ担当を経て現職。10年からはじめた個人林業を拡大し、副業として林業家を名乗り修行中。12年3月、薪割りを通じて国土の再生をはかる「ランバージャックス加古川」を立ち上げ、社長に就任する。月1回の薪割りワークショップを催し、木を焚くローテク生活のための技術と情報の普及活動を始めた。13年4月株式会社Lutraを設立。